随想ブリューゲル(7) ルーヴル美術館のブリューゲル(1) 2015年10月7日

幸福 輝 (国立西洋美術館)

 

今年の春から秋にかけて、東京と京都でルーヴル美術館の所蔵品展がおこなわれた。ご覧になった方も多いのではないかと思う。数年前、「17世紀」をテーマにした同館の所蔵品展が西洋美術館で開催された時の担当者だった縁もあり、5月の連休の頃だったろうか、今回のホスト館である国立新美術館を訪ねた(同展は東京では6月に終わり、その後、京都に巡回した)。

自分で展覧会を企画する時は、細部まであれこれ考え、注文をつける。でも、観客として見に行く時は別だ。会場構成や照明が気になることもたまはあるが、もっぱら作品を見るだけである。だから、個々の展覧会についての情報もほとんどもっていないことが多い。「風俗画」をテーマに掲げ、ポスターにフェルメールを使った同展についても、ティツィアーノやシャルダンも出品されているようだったので、16世紀から18世紀までの宗教画や風景画などを除いた各国のさまざまなタイプの絵画が展示されているのだろうくらいの予備知識しかもってはいなかった。その予想は概ねあたっていたのだが、そこにブリューゲルの《乞食たち》が展示されていたのである。この作品はルーヴル美術館が所蔵する唯一のブリューゲルである。どの美術館でも、当該の画家の作品が1点しかなく、まして、それがブリューゲルのような重要作家であった場合、館外には出さないのが常識となっている。

ヨーロッパではあまり一般的ではないが、日本の展覧会の広報は1点集中型である。だから、どうしてもスターが必要となるし、場合によっては、無理にでもスターに仕上げてしまう。一度、スターに選ばれると、その絵はポスターやカタログの表紙になるばかりか、その展覧会の宣伝大使となってあらゆる媒体に顔を出す。この展覧会のスターはフェルメールの《天文学者》だった。そのせいか、会場でもこの絵の前には大勢の人が群がっていた。混雑を避け、すいている壁のほうに向かったのだが、そこにブリューゲルが架かっていたのである。ここには人だかりができているわけでもなく、隣の二人連れの婦人たちも「これってあの(有名な)ブリューゲルのことかしら」と疑心暗鬼のようだった。後から考えると、教えてあげればよかったかなとも思うのだが、その時点では、ぼく自身もちょっぴり混乱していたのである。

ルーヴル美術館展ポスター

フェルメールの《天文学者》はこの画家の代表作とは言い難い。ルーヴルにあるフェルメールとしては《レースを編む少女》のほうが格上だし、しかも、これは冒頭に記した数年前の西洋美術館でのルーヴル展ですでに来日していた。また、《天文学者》には対作品ともいえる《地理学者》がフランクフルトの美術館に所蔵されているが、これもつい先年に日本(東急文化村ミュージアム)で展示されたばかりだった。要するに、《天文学者》はいかにも二番煎じの印象を拭えない状況での出番だったのである。主役がややインパクトに欠けるものだったので、質の高い他の作品で脇を固めようという作戦だったのかもしれない。クエンティン・マセイス、ピーテル・デ・ホーホ、ムリーリョ、グルーズなどの名脇役が揃った展覧会全体は見事なもので、ブリューゲルも「特別出演」してちょっと頼りないフェルメールを支えているといった印象だった。
 

ブリューゲル《乞食たち》
1568年 ルーヴル美術館

 

ブリューゲルの《乞食たち》はとても小さな作品 (18.5×21.5cm) である。しかも、そこに描かれているのは訳のわからない奇妙なモティーフだ。足を失った数人の男たちが松葉杖の助けを借りて歩行している。彼らはそれぞれ形の異なる帽子を被り、上着には狐のしっぽのような飾りが付いている。絵の裏側には「不具の者たちに幸運あれ」というまるで社会的弱者への応援メッセージであるかのような古い記銘がオランダ語とラテン語で書かれている。どのように解釈するかはともかく、前回のコラムでとりあげた《盲人の寓意》に通じる内容をもつ作品のようだ。

絵画のモティーフに序列はない。高貴な人の絵が怪獣を描いた絵より立派であるとか、より価値があるなどとは誰も思わない(といっても、どんなに立派な身なりの紳士より、美女のほうに高い値がつくことが多いので、序列が全くないとは言いませんが・・・)。だから、そこに描かれているのが乞食だからといって、その絵が嫌われるわけではない。けれども、《乞食たち》のような絵がたくさんの人々の心をつかむことは難しいのも事実だ。しかも、《盲人の寓意》とは対照的なこの作品の小さなサイズは、いかにも見栄えがしない。これを展覧会のスターにすることは、とても無理な話なのである。仮に、それぞれの画家の中で作品の重要度ランキングというようなものがあれば、この作品はブリューゲル作品の中で決してベストテンには入らない。だからこそ、ルーヴルも日本への貸出を許可したのだろう。

とはいえ、前述したように、これはルーヴルが所蔵する唯一のブリューゲルである。通常、どの美術館にも貸出不可の作品がある。かつて、《モナリザ》や《ミロのヴィーナス》が来日したこともあったが、それは例外であり、通常、これらの作品は貸し出されない。しかし、貸出不可の作品があるということは、逆に、貸出可能な作品があるということでもある。同一の画家の複数の作品を所有している場合、普通、序列第2位か3位の作品が貸出の任にあてられる。そして、ひとりの画家の作品を1点しか所蔵していない場合、原則としてそれは貸出不可のリストに入れられる。それにもかかわらず、今回、ブリューゲルが貸し出されたのは、やや誤解を恐れずに言えば、ルーヴルはブリューゲルをあまり重要な画家とは見ていなかったことになる。

ルーヴルがブリューゲルの価値を認識していないなどということはない。しかし、パリがあまりブリューゲルに好意をもってこなかったことは事実である。ブリューゲルの最大のコレクションはウィーンで、次は地元のベルギー(ブリュッセルとアントウェルペン)のそれが重要だ。このふたつを除けば、複数のブリューゲルを所有する美術館はほとんどなく、彼の作品は世界中に散逸している。しかし、ロンドン、マドリード、ベルリン、ニューヨークなど世界の一流美術館はすべてブリューゲルの大作を所有しており(著名な美術館でブリューゲルをもっていないのは、アムステルダム国立美術館とエルミタージュ美術館くらいだろう)、それらに比較すると、パリのブリューゲルはいかにも見劣りがする。どうしてこのようなことになったのだろう。パリではフランドル絵画やオランダ絵画が不人気で、ルーヴルにもこの分野の絵画がほとんどないというのならまだ理解できる。しかし、ルーヴルのフランドル絵画やオランダ絵画のコレクションは世界的な名声を誇っている。ヤン・ファン・エイクからルーベンスまでのフランドル絵画、また、レンブラントやフランス・ハルスなどのオランダ絵画には著名な作品も少なくない。だからこそ、ブリューゲルの欠落が際立つ。パリはブリューゲルがきらいだったのだろうか(以下次回)。

 

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